タイ伝統音楽・歴史 ― クルアン・ドントリー

タイ伝統音楽とは・歴史

 

歴 史

タイ伝統音楽のはじまりは
アンコールトムのパヨン寺院レリーフ

東南アジアの伝統音楽として、島嶼部を代表するガムランとともに大陸部を代表するタイ音楽。 タイ伝統音楽の発祥については、壁画やレリーフのような資料からわずかに残されているものの、音楽そのものに対する記録はなく、ほとんど不明です。 当時の音楽場面の復元に役に立っていた人工物の多くは、アユタヤの滅亡とともに失われています。今日我々がタイ音楽について具体的に知ることができるものは、 19世紀および20世紀の「古典」時代のものにすぎません。

「南詔」から始まったとされるタイは、近世に至る文化形成過程において周辺国・文化(インド、クメール、中国)の影響を強く受けており、 タイ伝統音楽もこれらの文化における音楽要素を取り入れながら発展してきたと考えられています。

タイの最初の統一王朝であるスコタイ王朝(十三世紀~十四世紀)にはアンコール王朝の宮廷音楽を受け継いでピー・パート合奏(旋律打楽器合奏)が成立していたほか、 現在につながる形態の弦楽器も記録に残っているようです。

現代へ続くタイ音楽形成期<アユタヤ時代>
アユタヤ時代のアンサンブル

統一王朝であるアユタヤ王朝期(十四世紀~)では、政治・経済が安定し、文化は大きな発展を遂げました。タイはクメールを征服したものの、 文化的にはクメールの文化に強く影響を受けています。 これは、後世のタイの音楽家自身が、「音楽、舞踊、建築芸術におけるカンボジア文化は、タイ人を支配したままだ。」と述べているところです。

職業音楽家が活躍する一方、音楽が一般民衆に浸透し、娯楽として楽器の演奏が始まったのもこの時期と考えられています。 主に、弦楽器、管楽器(笛)が演奏されていたようですが、ラナート(xylophones)やコン・ウォン(gong-kettles)のような旋律打楽器による新しい器楽様式が発生しました。 このように、現代に伝えられるタイ伝統音楽の原型は、アユタヤ王朝後期(十七世紀~十八世紀)に形成されたと考えられますが、 ビルマ侵攻に伴うアユタヤ王朝の崩壊によりこの時代の様子も明確ではありません。

タイ伝統音楽の黄金時代<古典時代>
現代のタイ伝統音楽の演奏シーン

続く現チャクリー王朝の初期(十九世紀~二十世紀初期)では、海外特に東南アジアでの権益をめぐる西欧との関係で難しい時期に入っていきます。 イギリスとフランス両勢力の不気味な緩衝地帯となったタイにおいて、タイ伝統音楽は西欧の影響をほとんど受けず、「古典」(classical)時代に入りました。

王宮あるいは支配階級における儀式、公務上などの場面において音楽が不可欠であったこともあり、王侯貴族の庇護のもとに飛躍的に発展し、 現在の楽器編成や音楽形式がほぼ確立されました。これは17~18世紀にかけてのヨーロッパの音楽の発達と同様の流れです。 楽器演奏の才能を見込まれた若者が王侯貴族の楽団にリクルートされ、ベテランの指導を受け研鑽を積むといったことがシステム化されていました。 楽団間の「競技会」のようなものも開かれ、ヴィルトオーソ的な演奏技巧が開拓されていきました。 高度な音楽性を持つ演奏家は、高い評価を受け、それに見合う報奨を得ていたようです。

この時代に現れた伝説的ラナート奏者ソーン・シラパバンレンは演奏技法や記譜法を始めとしてタイ伝統音楽に多大な貢献を残しています。 (彼の生涯は数年前に映画化されており、日本でも上映されました。)

タイ伝統音楽の現代<西欧文化流入の中で>
現代のタイ伝統音楽の演奏シーン

1932年の立憲革命の後、王室および既存の支配階級の勢力が衰えていく中、音楽を学ぼうとする若者は著名な音楽家に直接教えを乞い、 伝統が受け継がれていくこととなりました。著名音楽家のもとにプライベートスクールが形成され、現代に至っています。

二十世紀、欧米列強による東南アジア諸国の植民地化の中、タイは急速な西欧化を進め、タイ伝統楽器は演奏が禁止されるなど不遇な時代がありました。 戦後、西欧の音楽が流入し、タイでは多様な音楽文化が形成されていますが、タイ伝統音楽は継承・活性化への努力が続けられており、伝統行事を中心に様々な場で演奏されています。 また近年では、西洋音楽とのコラボレーションのような新たな試みも行われているようです。

参考文献:
  • David Morton The Traditional Music of Thailand
  • ประวัติ  การดนตรีไทย  ปัญญา รุ่งเรือง
  • ตามรอย  โหมโรง  ไพศาล อินทวงส์
  • 植村幸生・柘植元一 アジア音楽史